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「そもそも論」は役に立つ―教育学のススメ(国際コミュニケーション学科 首藤貴子)

研究室からこんにちは(短期大学)
「はじめまして、子どもコース担当の首藤です。専門は『教育学』です。」

このように自己紹介すると、次のような質問を受けることがあります。

「どうしたら勉強ができる子になりますか?」
「良い教材を教えてくれませんか?」
「子どもに言うことを聞かせるためには、どうしたらいいですか?」

「教育学」という言葉で、「上手な勉強の教え方」や「良い教材」に詳しくて、「子どもをうまくコントロールできるスキル」をもっているのだろうと思われるようです。一般的に「教育」と聞くと、まず「学校教育」をイメージされる方が多いからでしょう。
教育学において、「勉強」やそのための「教材」、学習を成立させるための「子どもをコントロールするスキル」について追究する研究はもちろんありますが、それは教育学の一領域に過ぎません。

冒頭の質問にはいずれも、子どもの発達を援助する方々の願いや思いが込められています。たとえば「勉強」をできるようにさせることは、援助者にとって現実的で重要な問題です。それでも私は、一旦立ち止まって考えてみたくなるのです。一歩引いた視点から、「そもそも論」で。

そもそも、「勉強ができる子」とはどういう子でしょう?
そもそも、「勉強」の中身とは何でしょう?
そもそも、誰がどのように「勉強」の中身を決めているのでしょう?それはなぜでしょう?
そもそも、「いい子」とはどのような子でしょう?

忙しい毎日を過ごす中で、「そもそも…」なんて悠長に考える余裕はないかもしれません。そんな手間と時間のかかることをしなくても、多種多様な「勉強」「教材」が、学校はもちろんのこと、塾にも書店にもネット上にもあふれています。でも子どもは本来、迷ったり立ち止まったり行き詰まったりしながら成長するもの。援助者は、既存の枠組や方法では対処できないこともあります。そんなときこそ、「そもそも論」で追究したことが生きるのです。
「そもそも論」で暗中模索することはおもしろく、しかし大変な作業です。その作業の指針となったりパワーを与えてくれたりする研究が、本来の教育学にはたくさんあります。